番号・名称 | 年 代 | 構造等 | |
169 二条城二の丸御殿 大広間 (国宝) |
慶長7-8年 (1602-1603) 及び寛永2-3年 (1625-1626) |
桁行右側面八間、左側面七間、梁間正面七間、背面五間、一重、入母屋造、本瓦葺 |
京都府の重要文化財建造物 2018-2-1 現在 |
特徴等 |
二條城は慶長8年(1603)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものである。その後、寛永のはじめに後水尾天皇の行幸のために大規模な改修が行われ、壮麗な城郭となった。時代は下り、慶応3年(1867)に15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明し、日本の歴史が転換していったことは広く知られている。 二の丸御殿は、二の丸の東南から北西にかけて、遠侍及び車寄、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形に立ち並ぶ御殿である。部屋数33室、800畳余りもある内部は、代表的な「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画 (模写画) で装飾され、国宝に指定されている。 大広間は五間から成り、一の間と二の間は、将軍と大名や公卿衆との公式の対面所で、将軍は床の間のある上段の一の間に南を向いて座して対面したという。また、四の間は、将軍の上洛の時に武器を収めた場所といわれている。障壁画は狩野探幽の筆になる。 2023-1-2 |